パーカー大好き人間
こんにちは。
パーカー大好き人間。
はい、私のことです。
突然であるがパーカーは最強であると考えている。その所以を説明していこうかと思う。
そもそも
私はファッションに全く興味がない。
朝、着る服をわざわざ選ぶのもめんどくさいし、それに時間をかけるのもめんどくさい。また、高いお金をかける価値を見いだせずにいる。
もちろん、社会人たるもの(まだ学生だけど)服装はTPOつまり、 Time(時間)、Place(場所)、Occasion(場合)に合わせたものにする必要があるし、そうしなければいけないということも十分心得ているつもりだ。
重要な式典であればスーツを着るし、近所のコンビニに行くぐらいなら話しは別だが、出掛けるならそこそこの服は着るし、騒いだら怒られるような所なら襟つきの服を着たりはする。高級なお店に行くならドレスコードを忘れることもないだろう。
世間一般的なファッションの意味としては、自分を表現したり、価値を高めたりするものだと思う。
しかし私は、ファッションで自分の価値が上がったとしても、それは本質的な自分の価値ではないし、こんなことで上がる価値なんてクソ食らえだ。
要は、TPOに合っていて他人が不快にならなければなんでもいいと思っている。
そういうわけでパーカー
つまりパーカーは
そんなに高くもなく、簡単に着れて、これ羽織っとけばそこそこお洒落だから他人を不快にすることもない万能な服なのだ。
しかもパーカーしかもって無いから選ぶ時間もそんなにかからない。
あと首元になにか物体(フード)があることで落ち着くからいいという個人的な理由もあることにはある。
もちろん、ファッションに時間やお金をかけるのも個人の自由だし、それを得意とするのも個性の1つであると思う。だからファッションを楽しみたい人は多いに楽しめばいいと思う。
ただ私がそれに価値を見いだせないし、そこに時間をかけるならもっと他のことに使いたいというだけの話である。
同様の理由で夏になるとTシャツ大好き人間になる。
着る服の全部とも言わないが、パーカーはどうだろうか。
今日着る服考えるのめんどくさいな。
そんなときのためにパーカー、どうですか。
たまにはラフファッションで出掛けるのも悪くないかも知れないですよ。オススメです。
一応言っておきますが、パーカー業界の回し者じゃあありません。
ここまで読んでくださってありがとうございます。では。
【方法】googleアナリティクスを導入しようと思い立ってから、実際に導入するまで
こんにちは。
この記事は、僕がgoogleアナリティクスを導入しようと思い立ってから、実際に導入するまでの手順まとめです。
導入を検討した理由
ブログを始めてから1か月が経とうとしているわけですが、未だにアクセス数の確認は設定の下の方にある解析というところから確認してました(笑
しかし、いつまでもそのままというわけにもいかず、ブログを運営するにあたって分析が必要だと感じるようになりました。
何をするにも分析、改善のサイクルは必要不可欠です。
例えばブログなら、「PVはいくらなのか」「どういう記事がよく読まれているのか」を知り、読みやすい文章や構成を心掛けたり、人気なジャンルの記事を多く書いたりする必要があります。
と言っても、多くの人に読んでほしいと思っている人に限りますが。
導入の手順
まずはログインします。でないと話は進まないですからね。
専用のアカウント欲しいって人は作っちゃいましょう。
次に、このような案内画面が出てくるのでお申し込みボタンを押して次に進みます。
すると、新しいアカウントというページになります。
画像荒いのは許してください。。。
「アカウント名」は何でもいいので分かりやすい名前でいいです
「ウェブサイト名」はアナリティクスを使用するサイトの名前です
「ウェブサイトのURL」も同じくアナリティクスを使用するサイトのものを入力
「業種」「レポートのタイムゾーン」の二つは自分に適したもので。
また、写真にはないですがチェックボックスは特に何もなければ弄らずに推奨のままでいいようです。
最期にIDを取得→同意するとボタンを押し、次に進みます。
画面の中央あたり(写真だと下の方)にトラッキングIDがでてくるので、それをコピーします。
そしたら、はてなブログを開きます。
「設定」→「詳細設定」→「Google Analyticsの埋め込み」と進み、
画像の様な空欄に先ほどコピーしたものを貼りつけします。
あとは、画面左側のタブのホームや行動などから様々な情報を見ることができます。
後は、存分に活用するだけです。
思ったより簡単に設定できるので導入しようかなと思っているあなた!さっそく設定しちゃいましょう!
お疲れ様でした!
Tik Tok制作者にあらん限りの拍手を送ろう
こんにちは。
「あらん限りの拍手を」と「あらん限りの力で拍手を」のどちらが日本語として正しいのか、僕にはわからない。
しかし、僕は語彙力が無いのでどうか許してほしい。
早速、話が脱線したので本題に戻ろうと思う。
最近、というか少し前からTwitterなどで見かけては「何だこいつ。」ぐらいにしか思っていなかったのだが、皆さんはTik Tokというスマートフォンアプリをご存じだろうか。
以下に、アプリストアの紹介文を抜粋する。
「Tik Tok」は若者を中心にするショート音楽動画コミュニティです。友達ができたり、自分なりの個性音楽動画を撮ったり、音楽のペースをフォローしていろんなタイプができます。自分の音楽タレント、ダンスや面白い演出、より面白いミュージックコンテンツを載せます。今すぐビデオをポストして、世界を驚かせ!
要するに、音楽に合わせて動画を撮り、投稿するもののようである。
(やったことないから適当です、すいません。)
Instagramが写真版ツイッターなら、TikTokは音楽動画版ツイッターとでもいうところだろうか。
どうやら、YouTuberみたいに「TikToker」という言葉もあるらしい。
ここで一つ断りをいれておくが、僕が称賛を送るのはTikTokというアプリであって、TikTokerのことではない。
では、なぜ僕がTik Tokの制作者にあらん限りの拍手を送ろうと思うに至ったか。
理由を順をおって説明しよう。
まず、従来は自己表現の場が実際に生きて(生活して)いるコミュニティにしかなかった。しかし、近年SNSなどの発達によりその自己表現の場がネット上に現れたのは言うまでもないのではない。
社会の発達とともに人間関係が複雑になるとともに孤立を感じる場面が多くなる。
そこで、他人と繋がっていないと孤立感に苛まれ不安になりSNSに心のよりどころを求める。そして評価されることに安心感を求める。これもまた仕方のないことだろう。
近頃よく耳にする「SNSのいいね稼ぎ」「承認欲求」はこれに該当するものだと感じる。
よりダイレクトな繋がりをもたらすものだと、TwitterやInsutagram、Facebookなど。
そうでないものであれば、YouTubeやniconicoなどの動画投稿サイト、そしてブログなども当てはまるのではないだろうか。
TikTokの他のSNSと違う新しいポイントはTwitterなどのようにリアルと近すぎるわけでもなければ、YouTubeほど敷居が高すぎないところだと思われる。
つまり、メインターゲット(であろう)中高生ひいては若年層に広がる孤立感とそれを埋めようとする承認欲求を察知し、敷居の高すぎないサービスを提供した制作者の作戦勝ちなのである。
また、音楽に合わせて動画を撮るという行為は「インスタ映え」にもつながるところがあるようにも感じる。
ターゲットを明確にし、市場のニーズを読み、プロデュースをした。
これぞ正しく、ものつくりの現場で手本とすべきビジネスモデルではないか。
TikTok制作者の皆様に、あらん限りの拍手を送ろうではないか。
パチパチパチパチパチパチパチパチ。
まぁ果たして黒歴史製造機と一部でよばれているこのアプリで動画を撮り投稿する行為が頭のいいものなのか、評価されるものかどうかはわからないが、ビジネスというのは売れたもの勝ちみたいなところもあるし(法を犯すのはよくないが)、このブログの趣旨はTikTokerを非難することではないのでこれはまた別の話である。
そして僕も承認欲求を発揮しているのでスターとかブックマークとか沢山されたいです。次はブログ用のTwitter作ってそのこと書こうかなぁ。
とある村の数奇なエピローグ
時は196X年、日本が高度経済成長に沸く頃、野田県の山あいに杉城村という活気溢れる村があった。この村は小さいながらも農業と林業で栄え、山あいということで冬には雪が沢山積もるのであった。
これはそんな杉城村の数奇なエピローグである。
時は流れ201X年、かつては活気に溢れ2000いた人口も、今となってはわずか800である。その残された村人もほとんどは年老いた老人ばかりで、多くいた若者も近隣の街や遠く離れた都市へ就職と共に離れていったのだ。「子どもは地域の宝」とはよく言ったもので、以前は夕方になると少年達の遊ぶ声が聞こえてきていたようなのだが、今は夕方になってもひっそりと静まり返り、寂しげな雰囲気を醸し出している。
村の外れの少し高くなったところに、村唯一の小学校と中学校がそれぞれ隣り合って建っている。人口が2000いた頃は、村ということもあって一学年に数クラスとは言わずとも、一学年30人程はいてとても賑やかだった。しかしこの杉城村も少子化の波には抗えず、中学校では両手両足で足りるぐらい、小学校でももう一人分の 両手で足りてしまう有り様であった。しかし少人数だからこそ生徒どうし、生徒と先生の仲は非常に良く賑やかな学校生活が送られていた。あの日までは。
しかし行政にとっては少人数校と言うのは頭を抱えたくなるような存在だった。生徒が少ないのにも関わらず教師は並の学校と同程度必要で、校舎の維持費もかかる。そして少人数のため生徒たちは切磋琢磨出来る状況になく、特に体育や音楽の合奏など実技科目は困難を極める。このままでは通常のレベルの教育が出来ないのである。
そんな中、持ち上がったのが近隣の中学校との合併である。近隣と言っても車で30分以上かかるため小学校は見送りとなった。これには村人は賛否両論だった。「通常の授業が出来ないのでは子どもが可哀想、合併すべきだ」「あそこは村人全員にとっての母校。何より学校は地域の活力だ。」
合併の話しが出てから様々な話し合いの場は設けられていたが、すぐに決着がつく訳もなく、結論が出るのに10年ほど要していた。しかし結局は3年後を以て閉校し、その春より統合することとなった。
ところがここで少し考えれば分かりそうだが予想外のことが起きた。三年後に既に中学校に在学する子を持つ家庭が、在学中に転校しなければいけないことを危惧して小学校卒業のタイミングで近隣の街に転校しだしたのだ。そして田舎の学校ではありがちなのだが全校生徒は数人兄弟の何家庭かで構成されているため、一家族が引っ越しただけでもとても少なくなるのだ。
時は更に進み、三年後の中学校閉校が過ぎたあとである。このときご存じの通り中学校は閉校、統合したため勿論生徒はゼロである。では小学校はどうか。相次ぐ転校により10人程になっていた。一応言っておくが一クラスではない。全校で10人である。
私が直接見聞きしたのはここまでであるため、この小学校や杉城村が今後どうなっていったかは知る由もない。それ故、これから言うことは古い友人づてに聞いたことことであり、確証はないのであしからず。
その後、10人程ではどうしようもなく程無くして見送られていた小学校も統合された。相次いだ転校により親世代の30代や40代はほとんど残っておらず、村に残されたのは米寿を迎えるような老人ばかりで、杉城村は超高齢化社会と成り果てていた。このときには既に人口は数えるほどになった。
そして最近、最後の数人もいなくなり遂には地図から杉城の名前は消えたとか消えていないとか。
働く理由は何か考えた
就活時の疑問
就活を経験した人はもちろん、経験していなくても何となくわかると思うんですが、面接で志望動機とか聞かれるじゃないですか。
あれってだいたい、社会の役に立ちたいとか人々を幸せにしたいからとか当たり障りのないこと答えると思います。
いやいや絶対本心じゃないでしょ。ごく少数は思ってる人いるかもしれないけど。
まぁ思っている人は居ても一番の理由じゃないのでは無いでしょうか。
そりゃ本心は金ですよ。金ないと生きていけませんから。
わかってますよ、そういうことを聞いてるんじゃないことぐらい。
じゃあそれ以外となると何?って疑問が湧くわけでございます。
実際のところ
内定貰ってからですけど冷静に考えました。
なぜ働くのか?ではなく、逆に働かなくちゃいけないと思う理由です。
ぶっちゃけ生きてく金だけなら親の脛かじれば生きていけなくはないからね。
出た答えとしては、社会人のスタートラインに立とうとするときに働かなかったことによって取り残されることの怖さですね。やり直しが利かなそうな怖さとでも言うべきか。
例えば3年間ニートしてから働くとなると、新卒という肩書は無くなるし、何より今まで何してたのかってなるじゃないですか。そうなると就職もしにくくなる。
それに学校というコミュニティを離れ会社に属さない以上、どこのコミュニティにも属さず孤独になるじゃないですか。それが取り残される気がして怖かった。
今冷静に考えるとめちゃくちゃ言ってんなって感じもするし、働く理由っていうより就職する理由ですね。
今現在の考え
今はお金を稼ぐためです。
といっても生活のためではないから、資金調達とでも言ったほうが良いか。
というのも、経験を積むのにお金が欲しい。
これやってみたいって思ってお金を理由に断念したことによる機会の損失とか、気づきとか技術の喪失のダメージはとても大きいと思う。
挑戦したいと思ったときに自分をステージに送り込めるだけの資金力が欲しい。
だから働こうと思います。
まとめ
自分自身まだ学生だから、まだまだ未熟だと思っています。
働いたら力不足を痛感することは山ほどあると思う。
だからそれを補う為に投資して、成長して、たまに自分を豊かにする趣味に没頭して一人前になりたい。
そう思いました。
思いがけず真面目なこと語る感じになってましたが読んでくれてありがとうございます。
【由来や意味】年越し蕎麦について色々調べてみた
こんにちは。今年もあと2か月しかないなぁ。あと1か月だ。
なんて言っているうちに、今年も残すところ今日を除けばあと3日となってしまいました。
そんなことを考えているとなんだか年越しそば食べたくなって来たのでついでに色々と調べたまとめです。
なお、この記事は食欲のみを行動力に変えて書いたものなので、少しの粗相は許してください。
年越しそばとは
年越し蕎麦(としこしそば)とは、大晦日(12月31日)に縁起を担いで食べる蕎麦で、歳末の日本の風物詩ともなっている、日本の文化であり風習である
蕎麦は細長く伸びることから「寿命が延びる」「末永く繁栄する」などのような縁起を担いだ意味があるそうです。また、うどんなどその他の麺類に比べて麺が細く切れやすいため「一年の悪縁を切る」という意味もあるんだそうです。
年越しそばの由来と意味
江戸時代中期には商家に月の末日に蕎麦を食べる三十日蕎麦(みそかそば)という習慣があったとされ、これが転じて大晦日だけに行われる年越し蕎麦になったと考えられています。当時の江戸では脚気が流行しており、「そばを食べている人は脚気にならない」という噂が江戸での蕎麦の流行を後押ししたそうです*2。
金箔職人が飛び散った金箔を集めるのに蕎麦粉を使ったことから、年越し蕎麦を残すと翌年金運に恵まれないと言われています*3。
食べるタイミング
年越しそばは縁起を担いだ食べ物であり、今までにまとめたように一年の悪縁を切れなかったり年越し蕎麦を残すと翌年金運に恵まれないということがあるので
年を越す前に食べた方がいいとされています。
ただ、夕食の時やもうすぐ年越しの11時ころなど人や地域によって違いはあるそうなので、12月31日の都合のいい時間帯でいいのではないでしょうか。
年明けうどん
年越し蕎麦について調べているとこんな記事を見つけました。
さぬきうどん振興協議会が提唱したもので、太くて長い長寿の縁起物として1月1日から1月15日までに食べるうどんのことで、年の初めに食べることにより、その年の人々の幸せを願うものなんだそうです。
年越しそばを食べてから年明けうどんをたべてもOKだそうなので、おせちに飽きたときなどに食べて、いつもとは一味違うお正月を過ごしてみてはいかがでしょうか?
待機児童と少子化という矛盾
ニュースを見ていれば待機児童の問題について放送し、またある日は少子化の問題について放送しているのをみて思ったことです。
都市部における問題
人口の多い都市部においては待機児童の問題が顕著だと思います。
はい、じゃあ幼稚園や保育所を増やしますよ
で済むわけはなく、他にも数多くの問題を抱えている。
用地問題から保育士足りない問題、園児の声は騒音問題まで挙げればキリのないほどの問題解決を各自治体は迫られている訳である。
そして保護者は保活に神経を尖らせなければいけない。
そりゃ「日本しね」ぐらい言いたくなるわな。(良し悪しは別として)
田舎における問題
いわずもがな少子化。
これはしょうがないかなと。働かない人をニートと揶揄する社会は、言わば働くことを強制しているようなもので、「働くのが普通」みたいになっている。
かと言って、田舎に働く所があるわけもなく、都会に行くしかない。
問題解決するには
これは至って簡単。
田舎で減って、都会で増えているのだから、幾つか田舎に戻せばいいのだ。
「そんな簡単にいうな」と言われればその通りなのだか
田舎に働く場があれば一定数は戻るのではないだろうか。
今都会に集中している企業を地方に分散させる、これに尽きるのではないか。
都会と田舎で待機児童と少子化をそれぞれ解決するよりは、力を合わせながら地方への移住政策を進めた方が意外とすんなりいくんじゃないのかな。
そう思いました。
ひとこと
そういう目で見れば、江戸時代後期ぐらいの将軍が行った、田舎に強制的に帰らせる政策(名前忘れた)はある意味正しかったのかなぁ。